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サリーハウス☆ことばのボタン cutysally.exblog.jp

暮らしの中でできる「ヨガと体操のクラス」を、小さなおうちでやっております。東日本大震災のあとに生まれました。


by loveiysally-4970

節目


来月には、東日本大震災から7年。

あの日。

3・11のあと、ご近所のTさん(仮名)と避難所で再会した。

Tさんの息子さんが、津波に巻き込まれたと知った。
いつもは豪快なTさんが、私の胸で小さくなって泣きじゃくる。

わたしも、ひざの震えを止められないまま、必死にTさんをだきしめ、
共に慟哭した、あの時を振りかえる。

同じ被災地に住む人たちでも、
悲しみの大きさが、こんなにも違うことに愕然とした。

ヘリコプターが頭上を飛び、救急車のサイレンは鳴りつづけた。
緊急車両がどんどん入ってきて、おだやかな日常はある日突然ひっくり返った。


だれもが、家族に会おうとしていた。

ただ生きていてほしい。
どれだけの人々が、天に祈ったのか。

津波が到達した、がれきの痛々しい道を、ひとり自転車であるいた。

家族を探す人、飼い犬を呼ぶ人、しゃがみこむ人。
何人かがあつまっては、帰らぬ人々の話をしていた。


Tさんの息子さんは、天国へいった。
中学2年生、ご近所のおじさんと一緒だったそうだ。

わがやでお習字もならい、年長さんだった小さなたけのこをかわいがってくれた。
お世話になったなぁ、ほんとにありがとう。
そのたけのこが、今度は中学2年生になろうとしている。


あの日。

だれもが、家族と会おうとしていた。

あたりまえの日常を、謙虚に受けとめようときめた日。

忘れるな、わたし。
人生は、贈りものだ。

すでに、十分幸せだ。
時がすこしたったから、書けることもある。

でも、やっぱり。

伝えたい命の言葉は、今日のうちに。

ありがとうも、ごめんなさいも。
そして、あいしてるだって。


節目_d0174664_09433891.jpg

被災する前、山元町でのみるく。5歳くらいかな。
「ママ、いんげんでにんげんをつくったよ」とピース。


東日本大震災から数年後、父の通夜。
Tさんご夫婦やご近所の皆さまが、参列してくださった。

みんな、それぞれの場所で生きている。


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けさ、友からのメールで、節目(フシメ)の大切さを教えられた。
フシがあるからこそ、竹は風雪に耐える強さがあること。

東北は、竹のようじゃないか・・

そんなことを思いながら、きのうの残りのカレーを食べた。







by loveiysally-4970 | 2018-02-09 11:07 | 東日本大震災 | Comments(0)