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叶った願い


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 その後、ひろみさん宅に、楽天の鉄平選手の、サインとサインボールが届きました。写真は、志乃ちゃんと亡くなった瑠衣ちゃんです。

今回の津波で、多くの方が亡くなりました。生かされた私達もまた、必ず死ぬ日がやってきます。
 残された人生、もう小さなことに、こだわるのはやめましょう。こうして今、共に生かされている不思議に感謝し、生き生きと生きるのです。

志乃ちゃんの夢で、亡くなった瑠衣ちゃんが語った
「死んでない」「遊びに来た」
の言葉が、私の心を大きく揺すぶります。
 日々の一瞬一瞬が幸せです。そこに気づくだけで、人生は更に、輝きを放つことでしょう。

感謝

※3つ前の記事「瑠衣ちゃん」から読んで下さい。



by loveiysally-4970 | 2011-06-19 08:06 | 東日本大震災 | Comments(20)

ひろみさんの震災の記憶

渡辺家には、瑠衣(中学3年〔震災当時中学2年〕)、奈菜(現在中学1年)、志乃(現在小学4年)の3人の娘がいます。
今回震災でなくなったのは、一番上の娘、瑠衣です。
瑠衣が楽天ファンになったきっかけ、それは2年前のWBC。小学校を卒業して、長い春休みに暇をもてあましていた時、たまたまWBCの放送で岩隈選手の活躍を見てからです。
その後、テレビで楽天の試合をよく見るようになりました。
テレビで放送されない時は、光テレビで!つねに野球中継を見ていました。(下の2人の娘たちも、次第に選手の名前や背番号を覚えていきました。)
テレビ観戦では満足いかず、球場にも何度か足を運びました。
いつしか鉄平選手の大ファンとなり、いつも「鉄平かっこいい〜」が口癖に。
休みの日、2階で楽天の試合を見ていた瑠衣。「やった〜。」台所にいた私にも、楽天の試合が目に見えるようでした。CMの間、わざわざ途中経過の報告に(笑)
野球に興味のない私も、だいぶ選手の名前を覚えました。
そして、去年のファン感謝祭、主人と娘たち、あと瑠衣のお友達2人が行くというので、私も初めて球場に足を運びました。(瑠衣のお友達、Yちゃんと、Mちゃんも瑠衣の影響で楽天ファンに!)
福袋を買うため、雨の中しばらく並んでGet!瑠衣の福袋の中には、なんと鉄平のTシャツ!またまたテンション上がりまくりです(笑)
ちょっと肌寒い日でしたが、瑠衣にとってはとても楽しい1日になったようです。


中学校では、ソフト部に入部。
先輩が3人しかいなかった為、1年生でレギュラーに!
ピッチャー志望でしたが、ピッチャーは先輩がやるのでサードを守ることになりました。
最初は、ぼろぼろのチームでしたが、見る見るうちに上達していきました。
そんな子供たちを見るのが楽しみで、主人と私はよく休みの日の練習を見に行くようになりました。いつしか他のお父さんたちも練習に参加するようになり、親たちの輪も広がっていきました。
2年生になり、先輩たちが引退。瑠衣は、ピッチャーの練習に力を入れ始めた矢先、キャッチャーもやることに。本人はあまり気が進まないようでしたが、私はひそかにキャッチャーをやってる瑠衣を「かっこいい〜。」と思っていました。
打席は1番。盗塁が上手だったのですが、バッティングはイマイチでした(笑)
楽天の試合を見ながら、嶋選手の守備を参考に、キャッチャーの勉強を。もともと右打ちだった瑠衣ですが、鉄平選手のバッティングを参考に、左バッターに転向!どんどん上達していきました。本当に、これからが楽しみでした。


3月11日。
中学校は卒業式の為、瑠衣は学校からお昼頃帰宅しました。
地震の直後、電話がつながらないので、私は職場の衛星携帯で自宅に電話をかけました。
つながった電話に瑠衣がでたので、
私  「大丈夫?」
瑠衣 「大丈夫だよ!今じいちゃんと茶の間にいる。」
私  「津波が来るって言うから、避難したほうがいいよ!中学校ぐらいまで行けばいいんだけど・・・」
瑠衣 「わかった!でも、じいちゃんどうしよう・・・?」

じいちゃんは84歳。ひざが悪く、ゆっくりしか歩けません。

私  「・・・。前の家のおばちゃんに何とかしてもらって!!」
瑠衣 「わかった!」

その後混線して・・・。電話が切れました。
私は職場の近くのビルの屋上に非難。まさかあんなに大きな津波が来るなんて・・・。松林が、家が、車が・・・。小型飛行機も、ヘリコプターも・・・。(私の車も目の前で流されてしまいました。)
ビルの屋上から、津波が来るのをただただ見ているだけで何も出来ませんでした。(私の職場は仙台空港にあります。)

瑠衣は、大丈夫?おばちゃんの車で非難できてればいいけど・・・。
奈菜と志乃は?瑠衣と一緒?それとも学校?
子供達の安否が気になりました。
メールで、お友達のお母さんから、奈菜と志乃は避難してるけど、瑠衣は分からない。と連絡がありました。
他のお母さんたちに、瑠衣を知らないかたずねてみるが、わからないという返事ばかり・・・。でも、きっとどこかに避難していると信じ、私はそのビルで一晩を明かしました。
主人も仕事の都合で、家に帰ることが出来ないので、私が早く帰らなければ・・・。でも、周りはまだ水が引かず、その建物から出るのは不可能でした。
やっと救助が来て、ボートで道路まで出ることが出来、岩沼の避難所まで見ず知らずの人の車で送ってもらい、そこからタクシーで自宅(山元町)まで向かいました。予想外の光景に、だんだんと不安に・・・。自宅は無事?!でも庭の木で見えなかっただけで、1階部分はほとんど流されていました。

瑠衣もじいちゃんもどこにもいません。とりあえず2階が無事だっだので、少しの着替えを持ってタクシーに戻り、他の避難所を探しながら、下の娘たちが避難しているとこへ。
次の日からは、歩いて避難所を探しました。奈菜の同級生のお母さんも、一緒に探してくれました。
「ココには絶対いないで!」そう願いながら、遺体安置所にも行きました。病院に運ばれてるのでは?でもどこにも名前は書いていません。
ある日、別の避難所の方から、瑠衣が消防団の車に救助されたという情報が入りました。でも、その後どうなったのか分からないということでした。でも、まだ生きている可能性はある!その時はそう思っていました。
次の日、消防団の方に話を聞いてみると・・・。瑠衣を助けようとしてくれた消防団の方は、なんと主人の同級生で、瑠衣の同級生のお父さんでした。震災当日、消防団の彼は、瑠衣の姿を見つけ、「早く乗れー。」と車に乗せました。瑠衣に、「じいちゃんもいるんです。」と言われ、もう一人の消防団の方とじいちゃんを抱え、車に乗せようとした瞬間、津波にのみ込まれたそうです。消防団の2人は自力で屋根の上に上がり、一晩そこで救助を待ったそうです。そして、低体温で病院へ。その消防団の方たちの情報もあり、流された消防団の車につかまったまま亡くなっていた瑠衣を、昨日の朝早く引き上げたとの事でした。

だめだった・・・。ウソでしょ・・・。信じられない・・・。
でも、早く見つけてあげなきゃ!バスに乗り、安置所へと向かいました。遺体の写真を見せてもらいましたが、瑠衣はいません。そこへ、瑠衣の同級生のお母さんが、私の姿を見つけ、泣きながら「瑠衣ちゃん、いたよ!」と教えてくれくれました。身元の分かっている方は、別のところに名前が書いてあったようです(名前入りの学校のジャージを着ていた為)。
すぐに瑠衣と確認することが出来、遺品を見ると・・・。スクールバックに手荷物。何でこんなに荷物が・・・。中身を確認したかったのですが、他にも待っている方がいらっしゃるので、後で返していただけるという事を確認し、その日は避難所に戻りました。
役場で手続きをし、火葬が19日に決まりました。
火葬当日、車もない、ガソリンもない中、瑠衣の同級生や父兄の方がたくさん来てくれました。
一緒に瑠衣を探してくれたお母さんが、事前に瑠衣の担任の先生に、火葬の日時を伝へ、お友達に瑠衣へのお手紙を書いてくれないか?とお願いをしてくれていたのです。
たくさんのお友達からの手紙、そして、ソフト部のお父さんたちは、鉄平選手の写真や切り抜き、ちょっと古いけど鉄平選手のサインボール!みんな瑠衣の為に・・・。うれしくて涙が止まりませんでした。
そして、待ち時間の間、瑠衣の遺品を確認。きっと野球の本や、鉄平グッズが入ってるに違いない。そう思いながらあけてみると、なんとスクールバックの中には、2リットルのアクエリアスが4本。(後で気がついたのですが、鉄平選手のプロ野球カードも入っていいました。)
手荷物(楽天のバック)には、毛布と板チョコ20枚(私がお菓子作りの為に買いだめしていたもの)、そして、当日お弁当にと私が作ったパン。びっくりでした。私なんかよりちゃんとした避難意識を持っていたんだと関心させられました。そんな準備の後、じいちゃんをつれて外へ出たのでは、だいぶ時間がかかったんだろうな。
その日の夜、瑠衣の棺に入れられなかった手紙を、お友達のお母さんと泣きながら読みました。その手紙の内容から、瑠衣が楽しい学校生活を送っていたことが、手に取るようにわかりました。


この震災を思い出すたび、後悔ばかりです。
あの地震のあと、すぐに家に帰っていれば、瑠衣を助けられたかもしれない。(でも、もしかすると津波に飲み込まれたかもしれない。)
外に避難するのではなく、2階にだったら、じいちゃんを避難させるのも楽だったし助かったかもしれない。(結果的には2階は無事だったから・・・。)
あんな重い荷物を持っていなければ、自力ではい上がれたかも知れない。
私は、自分だけ避難して、娘を助けることが出来なかった。


志乃が、私と2人きりの時、夢の話をしてくれました。目に涙を浮かべながら・・・。
志乃 「あのね、まだ誰にも話してないんだけど・・・。」
私   「何?」
志乃 「昨日、夢に瑠衣ねーちゃんが出てきたの。それで、おんぶしてくれて、とってもやさしかったんだぁ〜。」
私   「へぇ〜。」
志乃 「それで聞いたんだ〜。」
私   「何て?」
志乃 「本当に死んだの?」って!そしたら瑠衣ねーは「死んでない。」って。」
私   「死んでないって言ってたの?」
志乃 「うん。でもね、「お願いだから本当の事言って!」って言ったら、「天国から遊びに来た!」って言ってた。」
私   「天国って言っていた?」
志乃 「言っていた!」
私   「良かった。瑠衣ねぇ〜、天国に行けたんだね!」
志乃 「うん。良かったね。」
by loveiysally-4970 | 2011-06-19 07:40 | 東日本大震災 | Comments(0)

志乃ちゃんの願い

 「ねがいごと、100こ。プロジェクト」に寄せた、ひろみさんの末っ子、志乃ちゃんの願いです。

ここから↓

「私の願い」

私は、三姉妹の末っ子です。
今回の震災で、一番上のお姉ちゃん(14歳)が亡くなりました。
お姉ちゃんは、中学校でソフトボールをしていました。
守備は、キャッチャー、ピッチャー、サード。
楽天(特に「鉄平」)の大ファンで、テレビはいつも野球中継やスポーツ番組。
よく、「嶋」の守備や「鉄平」のバッティングを参考にしていました。
今年も、楽天の応援を楽しみにしていたお姉ちゃんに、大好きだった鉄平のサインをプレゼントしてあげたい。
志乃

志乃の母です。
娘のソフトボールをやってる姿が大好きでした。
もうすぐ中総体。
活躍を期待してました。
まさか、こんな形で命をおとしてしまうとは・・・。
娘は、本当に「鉄平」が大好きで、毎日楽天の話ばかりでした。
楽天が勝ったときのテンションの高さは、周りのみんなもあきれるほどでした。
ずーっと「鉄平」のサインがほしいと言っていたのを思い出します。
今となっては、何もしてあげれない。
悲しいです。
今回このプロジェクトを知って、志乃とお願いしてみようか?ということになり、メールをしてみました。宜しくお願いします。
母 ひろみ
by loveiysally-4970 | 2011-06-19 07:18 | 東日本大震災 | Comments(0)

瑠衣ちゃん

 瑠衣(るい)ちゃんは、私の尊敬するママ友、ひろみさんの長女です。東日本大震災の津波に巻き込まれ、亡くなりました。中学2年生でした。

 ひろみさんとは、お菓子や、キャラ弁づくりが、お互い好きで、作品を写メール交換しては、褒め合う仲です。ひろみさんの腕はプロ級。何度か、ひろみさんを先生に、我が家で、キャラ弁当やお菓子づくり教室も楽しみました。

 瑠衣ちゃんは、キュートな顔立ちで、明るくて活発。それでいて、温かい心を持つ女の子でした。
 我が家の長女みるくちゃんが、小学校1年生の時(3年前)、瑠衣ちゃんは6年生。運動会で、みるくちゃんと瑠衣ちゃんは、同じチームでした。引っ込み思案だった、みるくちゃんを、瑠衣ちゃんは、いつも優しく手を繋いで、導いてくれました。それを見た時、私は、心が震えるくらい、嬉しかった…さりげなく仲間になれるよう助けてくれる。そんな瑠衣ちゃんを、尊敬しています。

 ひろみさんから、震災後メールを頂きました。ひろみさんの末っ子、志乃ちゃん(みるくちゃんと同級生)が、「ねがいごと、100こ。プロジェクト」というサイトに、瑠衣ちゃんの事で、あるお願いをしたこと。その後、その願いが、すぐに叶ったこと。ひろみさんが、綴った震災の記憶。
 多くの方に、読んで頂きたいので、ひろみさんの許可を得て、全文掲載させて頂きます。


瑠衣ちゃん、心から、ありがとう。この世に生まれてくれて。共に山元町で成長してくれて。瑠衣ちゃんの輝きを胸に、私は前進します。どうか、見ていて下さいね。

合掌
by loveiysally-4970 | 2011-06-19 07:10 | 東日本大震災 | Comments(0)

ヨガと手づくり、時々ポエム♪東日本大震災後、新たな生き方を模索した、泣き虫、ズッコケ、でも愛に囲まれたサリー母さんの成長日記。


by loveiysally-4970
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