カテゴリ:脳梗塞からの贈り物( 9 )

みるくの作文と人生の解釈について

夏休み、中3みるくが作文を書きました。

亡くなったおじいちゃんのことです。
右半身完全麻痺と失語症の、重度の中途障がい者でした。

みるくは、障がいのあるおじいちゃんが大好きだったと結んでいました。
それを読んで、とても嬉しかった!

サリーのブログを、みるくはだいぶ読み返してくれているようです。
ありがとう!子どもに読んでいただけるなんで最高の幸せですよ~

カテゴリ『脳梗塞からの贈り物』
http://cutysally.exblog.jp/i2/


障がい者の父との思い出は、まだまだ語りつくせません!
人が存在すること。それだけで大きな価値があることを教えてくれた人です。

人生をどんな解釈するのかは、自分の心ひとつです。

子育てで大切にしていること。

それは!

わたし自身が、明るい解釈の見本をみせることだと感じています。


There are no facts, only interpretations.

事実というものは存在しない。
存在するのは解釈だけ。
byニーチェ


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かわいいデスクセット♡みるくの塾です。

塾がすき!

みるくの解釈、尊敬します(笑)






by loveiysally-4970 | 2016-08-20 05:58 | 脳梗塞からの贈り物 | Comments(0)

ランニング中に浮かんだ想い

歩けること

走れること

両腕を、大きくふり

両足を、交互に踏み出す

素晴しいことじゃないか

幸せなことじゃないか

この気持ちを大切に

わたしは

今日も、前に進んでいきます


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ランニングしていると、重度の中途障害者になった、今は亡きお父さんを想い出します。
ありがとう。
とても大切なことを教わったね。


by loveiysally-4970 | 2016-01-05 06:39 | 脳梗塞からの贈り物 | Comments(0)

父の日に想う

 おととい、中国人のお友だちOさんが、サリーハウスへ来てくださいました。ちょうど母もいて、亡くなった父と中国の方との思い出を話してくれました。

 父と母は昔、中国人青年と日本人女性の結婚の仲人をしました。結婚式では、中国から、ご両親や親族の皆さんが来日して下さり、父は中国語であいさつをしたそうです。

 毎朝、楽しそうに何度も何度もテープを聞いて、勉強して暗記し、15分ほどのあいさつをしたそうです。身振り手振りをつけて、喜んで話している父の姿が目に浮かぶます(愉快な父でした)。中国の皆さんが、とても喜んで下さったという話を、私は初めて聞きました。

 中国人Oさんのおかげで思いがけず、父の知らなかった姿を聞けて、感動して泣いてしましました。私の中で、ある出来事と繋がったからです。

 古い記事ですが、ご覧ください。

「残ったのは意外な人物」http://cutysally.exblog.jp/11484648/

 
 お父さん、Rママの仲人だったのね・・ 

 昔の私は、Rママの素晴らしさだけが見えたけれど、Rママも父も素晴らしかった!

 そもそも、素晴らしさが見えるのかは、私たちのこころ次第です。

 父は、重度の中途障害者になりましたが、変わらずお友だちでいて下さる方がたくさんいました。

 それは、心と心で繋がっていたからではないでしょうか。肩書きをなくしても、あなたがどんな状態でも、寄り添ってくれる人が本当の友だちです。

 今日は、父の日。

 私のお父さんになってくれた天国の存在へ、あらためて感謝を贈ります。

 お父さん、ありがとうね!

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Oさんに、子どもたちの古い教科書をプレゼント。中国の皆さん!日本語の勉強、応援しています。
国を超え、人種を超えて、心で繫がりましょう~

 
  

by loveiysally-4970 | 2015-06-21 06:49 | 脳梗塞からの贈り物 | Comments(0)

ジョナサン

 先日、ご自身も重度の自閉症で、「自閉症の僕が跳びはねる理由」の著者でもある東田直樹さんをNHKの番組で拝見しました。本当に感動しました。そして、昨年亡くなった父を思い出しました。

 亡くなった父は脳梗塞で、重度の失語症になりました。倒れた直後は、「あーーうーー」としか言えませんでしたが、言語療法の訓練を繰り返し、かなり変化しました。

 症状は、例えば「りんご」と言っているつもりでも、「みかん」と発音してしまう。父にとっては、私たちの話す言葉は、どうやら見知らぬ外国語のように聞こえ理解ができない。など・・・
 これは、本人、そして家族にとっても、跳び越えるハードルは、かなり高いものでした。

 母は、あらゆるものに助けを求めました。西洋医学、東洋医学、健康食品、宗教・・・父を連れ、内戦報道があったスリランカに、アーユルヴェーダ療法を受けにもいきました。もっとできる!もっとよくなる!!と必死だったのだと思います。

 そんな試行錯誤の日々の中で、ある時、共に暮らしていた私の幼い子どもたちの姿が目に留まりました。みるくちゃんが、右半身マヒでもある父が転ばないように、床に落ちているものを拾っていました。
 当時3歳のたけのこ君も、父のために、ゆっくり発音したり、父が「牛乳!」と言ったのに、テレビのリモコンを持ってきて渡していたのです。それは、言葉の奥にある想いを感じ、父が本当は何を欲しかったのかを自然に察している姿でした。

 私は、全身にビリビリっと電気が走り、内側から大きな感動が湧き上がってきました。その日の夕食の席で、私は心から母に話しました。お父さんが障害者になってくれたおかげで、どれほどの贈り物をもらったか。幼い子どもたちがこんなに優しく、心の目が育っているのは、お父さんのおかげだと、あふれる想いを伝えました。

 突然、隣にいた父が、わぁっと泣き出したのを、今でも覚えています。普段はわからないはずの会話なのに、
「おとうさん、わかってくれたの?」
と、私が聞くと、
「わかった!」「わかった!」
と泣きながらこたえてくれました。

 それからは、どんどん家の中の空気が軽くなりました。子どもたちが帰宅すると、父は茶の間で、家中に響きわたる声で
「ただいま!!」
と言います。(「おかえり」といっているつもり。だんだん細かいことは気にならなくなりました)
すると、それを受けて子どもたちは、大きな声で
「おかえり!!」
と言って家にあがり、じっちゃん(父)と笑顔を交わします。 
 
 ある時、父は母を呼びました。
「お父さん!」「お父さん!」(本人は「お母さん」と言っているつもり)
しかし、なかなか母から返事がなく、父がさらに大きな声で叫んだ名前は?!

「ジョナサン!!」

ジョナサン・・・誰???一瞬、フリーズ。そういえば、親戚のお姉さまはアメリカにいて、旦那様の名前はジョナサンです。長身のジョナサンを思い出し、ぷっと可笑しくなりました。

 お父さん、天国でも元気いっぱいだろうね。みんなみんな、それぞれの輝きが美しいね。障害があるひとも、そうでないひとも。


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by loveiysally-4970 | 2014-09-15 18:04 | 脳梗塞からの贈り物 | Comments(2)

素敵なおじ様

 先日、嬉しい来客があった。盛岡に住む、吉田さんと万ちゃんだ。
 父が経営コンサルタントだった頃、身体障害者の方と共に、住宅リホーム会社を経営していた。(父は自身が障害者になる前から障害者の方々とご縁があった)そこで、働いて下さっていたお二人。毎年この時期に、抱えきれない程の林檎と、絞りたての林檎ジュースを持って遊びに来てくれる。

 万ちゃんは、15歳の時、大工の見習いで働いていた。その時、誤って屋根から落ちた。首の骨を折り、半身不随となった。手に麻痺が残るが、車椅子で生活している。
 吉田さんは、19歳の時、バイクで大型トラックと激突した。一瞬にして、右手、右足を失う。今は義足をつけ元気に歩いている。
 二人とも、50歳前後。ジョーク連発の、明るいおじ様方。その瞳は、深くて美しい。

 父が脳梗塞で倒れた時、盛岡から、すぐに軽自動車を飛ばして、駆けつけてくれた。中途障害者になった父の痛みを、誰よりも理解してくれ、力になって下さった。

 3人の、障害を持つおじ様方が、大笑いしている。一緒に笑っていた私の胸は、いつしか、やさしさと温かさに包まれていた。何か、背中を強く押していただいているように感じる。私も、自信を持って生きていこう!なんでも、恐れずやってみよう!
 
 吉田さんが、室内照明の真下にいた私に言った。
「サリーちゃん、電気の下だと、綺麗に見えるよ〜」
「あら吉田さん。。私は、どこにいても綺麗です!」
 みんなで、思い切り笑った。吉田さん、万ちゃん、楽しい一時をありがとう!
by loveiysally-4970 | 2010-11-23 14:08 | 脳梗塞 | Comments(2)

一本の電話

私の父は、障害者認定一級だ。

脳梗塞で右半身麻痺と失語症になる前は、経営コンサルタントとしてバリバリ働いていた。

父の友人は、会社経営者や開業医も多く、たくさんの方に、こう言われた。

「お父さんは、本当に残念だったね・・・惜しい人物だった・・・」

多くの方が、我が家に不幸がやって来たけど、気を落とさず頑張りなさい!というメッセージを下さった。

ある日、一本の電話が鳴った。私が受けると、母の友人からだった。

その方は、30代の娘さんが、やはり脳梗塞で障害者になり、ご夫婦で娘さんの介護をしていた。

母に用事があったようだが、残念ながら留守にしていた。
母の友人は、私に泣きながら話し始めた。

「お宅のお父様が羨ましい・・・
障害者になっても、娘さんや可愛いお孫さんに囲まれて、いつも賑やかで、楽しそう・・
お父様は幸せです!
私達は、もう70代なのに、娘の介護をしています。私達が年を取ったら、いったい誰が娘の面倒をみていけばいいのか・・・」



父は、障害者として今この地球に存在している。

父の一部の友人は、父が「不幸」だと思っている。

電話を下さった母の友人は、父が「幸せ」だと思っている。

人間はそれぞれ、心で「幸せ」か「不幸」かを決めている。

父自身は、将棋とNHKのど自慢、大相撲中継を心底楽しみに生きている。
私から見ると、とても「幸せ」に見える。

無くしたものではなく、今、与えられているものに目を向けてみる。

トイレに走って行けるだけで幸せ。

階段を上がれるだけで幸せ。

ペットボトルを一人で開られるだけで幸せ。

子どもの名前を呼べるだけで幸せ。

絵本を読んであげられるだけで幸せ。

電話に出れるだけで幸せ。

家族のために働けるだけで幸せ。

(全て、我が家の父には出来ないこと)


父に感謝しています。

私に、大きな「気づき」というプレゼントをしてくれたからです。

正直・・・最近「幸せ」のレールからちょっと脱線していました。

今日、再びここで決めます!

私は幸せそのものです!

そう決めれば、そうなるのです。
by loveiysally-4970 | 2010-09-15 18:56 | 脳梗塞からの贈り物 | Comments(6)

残ったのは意外な人物

私の父は、中途障害者になる前は、仙台の国分町が大好きだった!
クラブの美しいママさん方とも、仲良し。

その中の一人。涼しげな目元が魅力の、『Rママ』という人物がいる。

御歳暮、御中元は欠かさず、我が家に高級菓子を贈ってくれる。

父がまだ障害者になる前、『NHKのど自慢』の予選会に出場した時のこと。(予選会にも、多くの応援団が駆けつけ、本番さながらに盛り上がり、かなり面白い)

Rママは、若いホステスさん達を連れて、父に黄色い声援を飛ばしてくれた。

そんなRママを、私は好きだったけれど、水商売に対する、自分では気づいていない偏見はあったかも・・・


そして5年前。たくさんの人脈があった父は、重度障害者になった。

変わらず、友だちでいてくれる人たちもいれば、

一部の人は、波が引くように、離れていった。

当然、Rママも、引いていく波の一人だと思っていた。

ところが・・・

父がもう、お店には行けないとわかった後も、毎年変わらず今日まで、Rママから高級菓子が届いている。

去年は、3人の元気なお子さんを連れて、山元町まで遊びに来てくれた。

中国の方と結婚している、Rママは

「中国は一人っ子政策だから、子ども3人連れて歩いていると、目立っちゃうのよ〜ウフフフ・・」

と、眉毛のまったくないスッピンで、美しく笑った。

人と人との繋がりは、表面ではなく深さだ。

以来、私は、心を込めて人とお付き合いしている。
そして、外見や仕事、肩書きではなく、その人の本質、ハートを見る事ができるようになった。

Rママは、父が経営者でも、障害者でも、接する態度が、まったく変わらない。

Rママ、大切なことを教えてくれて本当にありがとうございます!


※以上が、先日玉入れの熱気の中で、私がお話した体験です。
ちゃんちゃん♪

by loveiysally-4970 | 2010-07-07 06:38 | 脳梗塞からの贈り物 | Comments(8)

雑種犬タロの役割

雑種の大型犬タロは、その昔、父が知人から

『もらってくれなかったら処分する』

と脅されて、我が家にやってきた犬だ。

私は、たまに撫でる程度。
でも父は、雨の日も風の日も、近くの海岸をタロと一緒に散歩していた。

父が脳梗塞で倒れたのは、タロがやって来て10年目・・・

父は4ヶ月入院し、懸命にリハビリをした。
右半身はまったく動かない。
しかも、言葉を理解する事も話す事も出来ない。
父は、頑張っても頑張っても、元の姿には戻れない自分に、明らかに絶望していた。


退院の日。

すっかり自信を失った父を、四苦八苦しながら、車に乗せ、何とか我が家に辿り着く。

その時だった!!

父の姿を見つけたタロが、大きな声で吠え出した。
嬉しくて、しっぽをブルンブルン振って、力いっぱいジャンプしている!

車椅子に乗って、タロに近づく父は、すでにボロボロに号泣していた。
今まで、一人の時は、ベッドの中で何度も泣いたことだろう。
でも家族の前では、泣かなかった。

タロを囲んで、家族全員が泣いていた。

誰がお見舞いに来ても、開けなかった父の心の扉を、いとも簡単に開いてしまったタロ。

『あなたに会えて嬉しい!!』

余計な事は考えずに、ただ素直に伝えるだけでいい。

タロ、本当にありがとう!
あなたは、私達を助けるために、我が家にやって来てくれたんだ!!


それから、2年後、タロは静かに天国に旅立った。

タロが死んで、誰よりも泣いていたのは、やはり父だった。
by loveiysally-4970 | 2010-06-30 06:36 | 脳梗塞からの贈り物 | Comments(8)

『言葉のない教え』

私の父は55歳の時、重症の脳梗塞で生死をさまよい、あの世から舞い戻ってきた人物だ。

重度の障害を持つ身に変身してね・・

倒れた当時、医者は言った。

『親族を呼んで下さい。意識が戻ったとしても、寝たきりで、言葉は喋れないでしょう・・・』


仙台で経営コンサルタントの仕事をしていた父。
営業の指導や講演、司会などをこなし、話すことが大好きだった。
毎日多くの人と出会い、人脈の広さが自慢だった。

その父が、ベッドで動けずオムツを付けて、言葉まで失っている。何か私達一家に暗雲が立ち込めてきたように感じ、涙が止めどなく流れてくる。

いっそ、意識が戻らないであの世に旅立ってくれ〜
その方が、父は幸せかも・・
そんな思いが頭をよぎる。


あれから、早いもので5年がたつ。。。

色々な事を乗り越え、様々な変化を体験した。
この5年間。言葉を失った父から、私は、とてつもなく大切な事を教わった。

それは、まさしく『言葉のない教え』


これから、私自身が、体験、体感したことを綴っていきます。

このブログを読んでくれた人が、少しでも元気になってくれたら、それだけで、心がブルブル震えちゃうくらい嬉しいなぁ

どうぞヨロシクお願いします。

愛を込めて
キューティーサリー
by loveiysally-4970 | 2010-06-28 18:00 | 脳梗塞からの贈り物 | Comments(6)

ヨガと手づくり、時々ポエム♪東日本大震災後、新たな生き方を模索した、泣き虫、ズッコケ、でも愛に囲まれたサリー母さんの成長日記。


by loveiysally-4970
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