お父さん、ありがとう。
お父さん、ありがとう。
私をこの世に誕生させてくれ、
無償の愛で育てて下さいました。
幼い頃、引っ込み思案な私を、いつも、ほめてくれましたね。
お父さん、ありがとう。
私が20歳でした大失敗を責めず、全力でサポートして下さいました。
家族のために、一生懸命働いて、子どもたちに立派な教育を受けさせてくれました。
お父さん、ありがとう。
津波で流されたけれど、人の集まる素敵な家も建ててくれました。
いつも、明るく楽しく、クリスマスや誕生会を大切に、たくさんの思い出を残してくれました。
お父さん、ありがとう。
55歳の若さで、中途障害者になって、たくさんの気づきを与えて下さいました。
ありのままの自分を受け入れることを、その生き方を通して教えてくれました。
お父さん、ありがとう。
いつも別れ際、目と目をしっかりと合わせ、愛を込めて握手してくれたこと、忘れません。
言葉が不自由になったお父さんと過ごしたおかげで、言葉を超えた「想い」の大切さを知りました。
私のお父さんになってくれて、本当にありがとうございます。
私の人生に大きな影響を与えてくれた人。
私に、いつも、愛と喜びを贈ってくれた人。
天国で笑ってるお父さんを想うと、今はまだまだ、涙がたくさん溢れてくるけど、見守っていて下さいね。
お父さんのように、幸せで、元気で、満面の笑顔で生きていきます。
お父さん、ありがとう。
これからは、どうか、私たちのハートの中で、いつまでも燦然と輝いていてくださいね。
☆2013.6.30、父、芳賀幸元は、64歳で永眠致しました。29歳でリクルートから独立し、仙台を中心に地元に密着した経営コンサルタントとして、活躍しました。
55歳の時、脳梗塞で倒れ、障害者認定1級になりました。苦しい時期もありましたが、障害を受け入れると、いつもニコニコと笑顔で、仙台四郎(仙台の福の神)のように、なりました。
その時期の父と暮らせたことは、私にとって、大きな宝物です。
危篤、通夜、葬儀と本当にたくさんの皆様に駆けつけて頂きました。この場を借りて、深く感謝申し上げます。
父は亡くなる少し前、障害者なってからずっと練習していた漢字やひらがなで、きちんと住所録を完成させていました。
親戚や同級生に、車イスを母に押してもらい、どこまでも会いに行っていましたね。
人生は、永遠に「今」の連続。本当にやりたいことを、積み重ねていくことの大切さを、父から教わりました。
写真は、遺影です。こんなに笑ってる遺影は初めて見たと、皆さんも泣き笑いでした。
本当は、孫を抱っこしている写真なんです。母は、喪主挨拶でこう言っていました。
「子を失う悲しみと、孫を抱く喜びを知っている人の笑顔」
父と母は、30代半ばの時、我が子を亡くす経験をしています。
それを聞いた時、涙がわぁーと溢れました。